さて今朝のこと。
いつものように朝食を食べながらTVを見ていると‥‥
埼玉の公立中学校が保護者への配布物にアベノマスクの着用を義務付ける
ような記載をしていたとのニュース。
まあ、普通に考えれば公立学校が根拠を示さずに特定のモノ(今回はアベノ
マスク)を指定して使用を強要するような表現をすれば問題が生じることは
予想できるような気がします。
どのような内容を記載するかについてはある特定の人物だけの判断で完結する
わけではないでしょう。
何人集まるかはともかく複数人数で議論なりをして最終決裁者の了承を取って
掲載というプロセスをたどるの一般的です。
今回、こういう表現を載せるという決定について異を唱える人をいなかったの
しょうか?
「三人寄れば文殊の知恵」という諺がありますよね。
その意味は「凡人であっても三人集まって考えれば素晴らしい知恵が出る」と
いったところでしょう。
しかし、今回のように(おそらく)何人かが集まっての議論を経れば常に賢明な
意思決定を選択するとは限らないのが人間の人間らしい側面とも言えます。
このように1人で考えれば当然に気づいたことが、集団で考えることで見落と
される現象は「集団浅慮(しゅうだんせんりょ)」や「グループシンク」と言われます。
集団浅慮が起こる原因は色々と考えられますが、例として
・強力なリーダーシップの存在⇒強いリーダーがいる場合、異論を唱える
ことが難しい
・閉鎖的な環境⇒外部との接触が少なく、同質的な人間が集まると同調圧力が
高まり周囲と違う思想を持てなくなる
・問題解決のストレス⇒早く問題を解決しなければならない、少しでも早く
この重圧から逃れたいという心理
・責任の所在が曖昧になり楽観的になる⇒みんなで議論することで責任に
対する各自の負担感が少なくなる
などなど。これら以外にも沢山あるでしょう。
今回の件についてどのような要因が働いたかは分かりませんが、アベノマスクを
義務付けるような記載に疑問を抱いた人はいたと思います。
そう、集団浅慮が起こる過程ではその議論や方向性に異論や反対意見が存在する
ことが殆どなのです。
それなのに「言いづらい」とか「面倒くさい」という理由でスルーしてしまう
‥‥、それが現実です。
先の大戦の開戦判断、3.11の原発事故(原発が事故になるという前提さえも認め
られず、事前の対策が用意されていなかったという説)など集団浅慮の例については
枚挙にいとまがありません。
あ、アベノマスクの配布自体も追加しておきます(汗)
集団浅慮を引き起こす芽は誰の中にも潜んでいます。
日頃の仕事や生活の中で誰しも多かれ少なかれ「言いづらい」とか「面倒くさい」と
感じる場面があるはずです。
しかし経営上、重要な場面では最大限「適切」と思える意思決定をしたいものです。
その為には個人であれば異を唱える「一言」を言えること、組織であればそれを
許す「風土」を築きたいものです。
「ローマは一日してならず」ですが(ちょっと大袈裟?)、意識して取り組みたい
ですね。